| 今までのお話 |
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2006年11月
南無三
インドの人々が挨拶をするとき、合掌をして、「ナマス・テー」と言います。
インドでは「おはよう」も「こんにちは」も、そして「さよなら」も、すべて「ナマス・テー」です。「ナマス」というのは、ヒンデイー語で「敬礼します」の意味であります。そして「テー」は「あなた」でありますから、「あなたに敬礼します」というのがインドの人々の挨拶であります。非常にすばらしい挨拶だと思います。
このヒンデイー語の「ナマス」は、古代インドのサンスクリット語では「ナマッハ」もしくは「ナモー」といいました。サンスクリット語は仏教経典の言葉で、(ぼん語)と呼ばれているものであり、経典が中国語に訳されたとき、「ナマッハ」「ナモー」は『南無』と訳されました。
『南無』とは、「全身全霊をこめて、みほとけを拝み、経典の教えを信ずることを表明した言葉」であります。きみよう、これを意訳しますと(帰命)となります。「南無」ついた言葉で、いちばん有名なのは、(南無阿弥陀仏)と(南無妙法蓬華経)であります。(南無阿弥陀仏)は(お念仏)といわれ、西方の極楽浄土におられます仏である、阿弥陀仏への帰依を表明した言葉であり、阿弥陀仏を信じ、阿弥陀仏にすべてをまかせることを意味します。浄土宗や浄土真宗において、このお念仏が唱えられております。
(南無妙法蓬華経)は(妙法蓮経)すなわち(法華経)への帰依表明した言葉であり、これを、(お題目)といいます。日蓮宗においては、この『お題目」を唱えております。
それから、禅宗(曹洞宗・臨済宗)においては、(南無釈迦牟尼仏)と唱えられますが、これは、仏教の開祖でありますお釈迦への帰依を表明した言葉であります、さらに《南無三》という言葉があり、《南無三》は、正しくは「南無三宝」であって、三宝というのは、「仏」と「法」(教え)と「僧」(教団)の三つであり、「仏・法・僧の三宝に帰依します」というのが、《南無三》の本来の意味であります、
しかし、今日では、この「南無三』は、なにか大事が突発したとき、あるいは失敗をしたとき、「大変だ」「しまった」の意味で使われており、三宝に助けを求める言葉と思われたのではなかったのでしょうか。
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2006年10月
五色の幕
お堂内、参道に五色の慕が匝らされていますが、この五つの色には、なにか意味があるのでしようか。
お堂内、参道には白・赤・黄・緑・紫の五色の幕が張り匝らされております。この五色は五正色(ごしょうじき)とか五大色(ごだいじき)ともいい、正式には緑色は青色で紫色は黒色となります。この『白・赤・黄・青・黒』の五色の意味については、大まかには二つの系統の考え方が伝えられています。
一つには中国の五行説に関連づけられたものであります。
二つには真言密教の説に基づくものであり、いずれも、先の五つの色によるものです。
このうち、真言密教に基づくものが、「お不動さまの幕に関係する五色」となると思われます。真言密教における五色とは、金剛界曼茶羅の五仏に関連するもので、すなわち、白は中央の大日如来を、青は東方の阿閃如来を、黄は南方の宝生如来を、赤は西方の阿弥陀如来を、黒は北方の不空成就如来と、その持てる徳をそれぞれ表すというものです。また、密教の五大(五輪)説とも関係づけられてもおり、その五大説とは、すべての存在は地大、水大、火大、風大、空大によって構成されていると説くもので、地を象徴するものとして方形(四角)と黄、水は円形で白、火は三角で赤、風は半月で黒、空は団形(宝形)で青とされます。これを下から順に重ねると五輪塔となり、大日如来のお姿そのものとなります。そしてこの大日如来と不動明王とは同体である事とから、この五色はお不動さまの色であるとも考えることができるのです。
五色にはこのような意味があるのです。
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2006年9月
釈迦如来
今から二千五百年前、インドで皇太子の地位を捨てられて出家し、六年間の苦行の後、宇宙の真理、人生の道をお覚りになったお釈迦さまは人びとに尊敬されて仏といわれることになりました。
仏とは真の人間という意味で、これを覚者(かくしゃ)と申します。
釈迦如来の真言にも「のうまくさんまんだ ぼだなん ばく」といって、仏のいのちに帰依して、「ぼだなん」すなわち人生の覚りを開かしめるとあリます。「のうまく」は仏のいのちに帰依すること、「さんまんだ」は広く多くの人びとに、「ぼだなん」は菩提であって仏の覚リを成就することであります。最後の「ばく」は過去、現在、未来であって、この世の続く限りということで・三世にわたって、すべて生きとし生けるものが悪い因縁を絶って仏道を精進し覚りの境地に至るよう導くという釈尊の強い願いを表し、これを唱えることによって、自ら仏に成るという仏教本来の道を進むことを意味しているのであります。
釈尊は二十九歳の時、出家されたのでありますが、出家の原因は、この世はすべて苦しみであるという「人生苦なり」と断じられて人生苦からの解脱をご自分の試練とされたのであります。インドの言葉で苦しいということは、「ドッカー」といい、これを四苦八苦というのであります。四苦とは、生・老・病・死 それに愛別離苦・怨憎会苦・求不徳苦・五陰盛苦の四つ苦を加えて四苦八苦と申します。
この苦を解くために六年間、山に入って苦行されたのでありますが覚りを得られず、修行を諦めて山から出てこられたのであります。
心身ともに衰えた釈尊にセーナニー村の長者の娘・須閣陀(スージャター)は一杯の牛乳を供養したの であります。他の修行者はこれを見て『釈尊はもう堕落した」と思ったのですが、生気をとり戻した釈尊は尼連禅河で沐浴し、ブダガヤの菩提樹の下に座禅し、遂に三十五歳の十二月八日、明けの明星を仰いで覚りを成し遂げられたのであります。
成道された釈尊はボン天「サハンパテイ」の『世はまさに滅亡するであろう。早くあなたの法を」という勧請によって以来四十五年間、インド全域に説法の旅を続けられました。その説法がお経(スートラ)といわれるもので、その内容が仏教として今も人びとに解脱を勧め、教え導いているのであります。
とこしえに鷲のみ山にましまして
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2006年8月
真言宗祖弘法大師の人間観
弘法大師(空海)さまは、この世に生まれる人間をどう観られたか。
お大師さまほど、私たちの人間の立場を宗教的に高く観られた方はおりません。一人ひとりの人間には普く菩提心があり、その本性は仏さまと平等であるという「我即大日」をお説きになり、即身成仏を提唱されておられるのであります。御遺誡には「心の性は仏と異なるなし」といわれ、人間の一生は仏の生涯であるとされているのであります。また『信修することあらば男女を論ぜず、みな、これその人なり』と述べられ、仏さまの『いのち』を受けた私たち人間はすべてみな平等であるとされているのであります。それらの教えより真言宗のモットーは「人みな仏・相互供養・相互礼拝』となっており平等観の上に立って人びとがお互いに供養と礼拝を事とすることを勧めているのであります。また、真言宗は多くの真言をお唱えしますが、その中で、中心になる真言は発菩提心の真言『オンボウジシッタボダハダヤミ』と三昧耶戒の真言「オンサンマヤサトバン』であります。
この真言は『自分の胸の中には仏の心が生きております』…発菩提心の真言「自分と仏さまとは一体であり、平等であります」…三昧耶戒の真言という心を表しています、これは「人は仏なり、仏は人なり」ということで、これ程までに人間の立場を仏の立場まで高め人の尊さを説く宗教は他にないということができます。
この人間観をお大師さまは(即身成仏)と申されたのであり、いのちの生きる身体と言葉と心の尊さを自覚することを教えられたのであります。一人ひとり、の人間のいのちは、それがそのまま、大宇宙の大きないのちと変りないとされ(宇宙のいのちを、大日如来と呼ばれ、仏さまとしているのであります。
「人のいのちは地球より重し」と世間でもいわれていますが、お大師さまの教えは、人のいのちは宇宙そのものと覚るものであります。従って、お大師さまの人間観はそれがそのまま宇宙観ということができます。
宇宙の偉大性はそのまま、一人ひとりの偉大性であると覚るものが大師の宇宙観であリ、人間観であります。
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2006年7月
『大師は弘法に奪われリ』
今から、約千二百五十年の昔、真言宗の宗祖・弘法大師さまは讃岐の国長であった、佐伯善通と玉依御前の間に生まれたのが、光仁天皇の御代、青葉かおる宝亀五年六月十五日でありますお大師さまは名を「空海」といい、すべてのものを抱擁し、しかも雄大にして穏やかな人格の宗教者であり、文化人であります。
生れながらにして地元では「貴物」とよばれ神童といわれたいお大師さまが、この世にお生まれになったのは偶然ではなかったのであります。乱世、英雄を生むと申しますが、ここに常夜の闇を破る暁の明星のように、苦難の世に、世を救い人々に幸せを与えようとする聖者がお生まれになったのであります。
お大師さまの御誕生こそ、わが国の文化大きく開き、一人ひとりの人間に尊厳と幸福をもたらした明るい日本国の出発点であったといえるのであります。
「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪われる・・・・」といったことばがあります。『太閤、というのは、摂政あるい太政大臣の尊称』であり、後世には、関白をやめてその地位をわが子に譲った者を『太閤』と呼んでおり、したがって、これは別段、豊臣秀吉にかぎった呼称ではないのですが、今日では「太閤」といえぽ秀吉になってしまいました。
同様に『大師』は朝廷から高僧に与えられた謚号です。したがって、何人もの、「大師」がいるのであります。これも今日では、「大師」とくに「お大師さん』といえば、弘法大師空海を指すようになってしまいました。
これは、長い間に民衆の人気がそうしてしまったようです。
じつをいえば、大師号が朝廷より一番初めに贈られたのは、天台宗宗祖・最澄でもなく・最澄の弟子で
ある(円仁)であります。貞観八年(八六六)に清和天皇が円仁に(慈覚大師)と追謚されたと伝えられておりますが、円仁は師であった最澄に悪いからという事とで、同時に最澄にも(伝教大師)が謚されたと伝えられております。
空海に「弘法大師」の謚号が贈られたのは、ずっと遅れて延喜二十一年(九二一)であります。しかし、いまでは「大師」といえば弘法大師になってしまったから、まことに、「大師は弘法に奪われる」となったわけです。
弘法大師空海は承和二年(八三五)三月二十一日に高野山で入定しました。東北、関東北部、北陸や山陰地方でよく「大師講」と呼ばれる行事がありますが、この大師講の「大師」は、土地によって「弘法大師」であったり、「智者大師」(天台大師・智顫)であったり、「元三大師』(良源)などと考えられます、これは、大師を「大子」、つまり神の子と考えて、来訪神を迎える行事であったものが変形したと思われます。 |
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2006年6月
奈良・東大寺の大仏さま
天平勝宝四年(752)四月九日、奈良の東大寺の大仏開眼供養が盛大に行なわれました。
天平十奉一七四三一十月十吾、聖武蚕の発願によって「盧舎那仏(るしやなぶつ)造像」の令が発せられ、国家的大事業として推進されました。天平勝宝四年にいたってようやく大仏の完成の目途がつきましたが、発願者の聖武天皇(そのときばすでに上皇)の健康がすぐれないので、四月九日に大仏の開眼供養が執り行なわれました。
開眼会には聖武太上天皇、孝謙天皇、光明皇太后、橘諸兄(もろえ)らが列席し、インドから来日した菩提懐那(ぼだいせんな)を開眼導師とし、林邑(りんゆう)(インドシナ)出身の僧の仏哲(ぶつてつ)が雅楽の師として参加するなど、国際色豊かなものでした。
「盧舎那仏」
この仏は「宇宙仏」であります。われわれ現代日本人は「仏」といいますと、まずお釈迦さまを思い浮かべます。すなわち、インドの釈迦国出身の聖者が出家をして修行し、悟りを開いて仏となったと考えますが、それは、小乗仏教の考え方であります。大乗仏教におきましては、まず「宇宙仏」があり、この「宇宙仏」を盧舎那仏(ろしゃなぶつ)と名づけ、盧舎那仏は「毘盧遮那」(びるしゃな)とも言い、密教においては「宇宙仏」を毘盧遮那と呼んでおります。
「宇宙仏」である盧舎那仏は、時間・空間を超越した存在でありまして、姿・形を持っておりません、慶舎那仏のおわします世界を蓬華蔵世界(れんげぞうせかい)と呼ぴますが、これも時間・空間を超越した世界であって異次元世界ということになります。あるいは、この宇宙全体が蓬華蔵世界であります。
盧舎那仏が姿・形のない仏さまであれば、盧舎那仏はわれわれ衆生に説法はできません。それで盧舎那仏は「沈黙の仏」と言われております。
そのかわり、盧舎那仏は自分の毛穴から百千億の「分身仏」を発出されて百千億の世界に送り込み、その「分身仏」に説法させられるのです。ちょうど太陽が宇宙の中心にあって四方八方に光を投げかけているのと同じであります。そして、われわれの世界に派遣された盧舎那仏の「分身仏」がお釈迦さまであります。
東大寺の大仏さまは、そのような世界観を表明しているのであります。 |
2006年5月
不動明王 怒リのほとけ
お不動さん…といえば、庶民に親しまれておりますおほとけさまです。
『藤島たけお』の歌った「月の法善寺横丁」(作詞・十二村哲)には水掛不動が登場しますし、交通安全のご祈祷で有名な成田山新勝寺は市川団十郎の信仰もあって、不動信仰の拠点にもなっております。
また、東京・JR山手線には目黒駅と目白駅があります。これは、江戸時代の庶民の信仰を集めた,
五不動尊・・・目黒竜泉寺の目黒不動尊。目白新長谷寺の目白不動尊、小松川最勝寺の目黄不動尊、駒込南谷寺の目赤不動尊。世田谷教学院の「目青不動尊」。のうちの目黒不動尊と目白不動尊が地名に残ったものです。
しかし、お不動さまはおっかないほとけさまであります、お不動さんは、正しくは、不動明王といいますが、不動明王の尊像はだいたいが、忿恕像(ふんぬぞう)であります。
歯は牙となって唇の外に出ており、目は半眼半開であり、右手に剣、左手に羂索(本来は猟具としての罠)を持ち、背には火焔型の光背を背負っております。ともかくも、恐ろしいほとけさまです。
なぜ、こんなに恐ろしい姿をしているのでしょうか。....
じつは、明王と菩薩は、まったく性格の違ったほとけさまであります。
観音菩薩を代表とする「菩薩」はちょっと例外もありますが、だいたいがやさしく衆生を導いてくれるお仏さまに対し「明王」は、そのようなやさしく導くだけでは、ひねくれ者はかえってそれを馬鹿にして、その教導を受けない者もでてきますので、「それは本人が悪いんだから」そういうひねくれ者はほうっておけ、という理屈も成り立ちますが、そのような衆生をほうっておくのも、ほとけの慈悲に反します。
そこで、そういう衆生を威して、強制的に仏教を教えようとする役割をもっているのが明王であります。
だから、不動明王はおっかない姿をし、手には武器を持っているのです。その意味では菩薩は母親的で、明王は父親的といえます。
観音さま的なやさしさだけでは衆生は救えません。そのやさしさを補完するかたちでの不動明王の威嚇も必要なのです。
それは、役割分担の思想であり、不動明王には、不動明王でなければ果たせない役割があるのです。
毎月二十八日は不動明王の縁日です。 |
2006年4月
お釈迦様のお誕生。
四月八日は、お釈迦様のお誕生日です。それにちなんで、今回はお釈迦様のお誕生のお話を致します。
お釈迦様は今から約2550年の昔、今のネパールにいた釈迦族の王子としてお生まれになりました。
父の名は浄飯王、母の名は摩耶夫人といいました。摩耶夫人は、ある夜、夢をご覧になりました、それは六つの牙のある白い象が、ご自分の右脇に入った夢でした。不思議に思って占ってもらうと、「お生まれになる王子様は、成長されたあかつきには、世界に君臨する大王になられるか、世界中の人々を救われる聖者になられる良い夢です」とのことでした。
やがて時が来て、摩耶夫人は出産に備えて里帰りされようとしました。そしてその途中、ルンビニーの花園でお休みになられました。すると、そこで摩耶夫人は産気づき、お釈迦様がお生まれになったのです。
お釈迦様はお生まれになると、確かな足取りで七歩、歩まれ、右手を天に向け、左手を地に向けて、
あの有名な『天上天下唯我独尊』という言葉を発っせられたのです。するとその時、世界中が光り輝き、枯木は花をつけ、空には美しい音楽と歌声が流れ、天にいる竜が甘露の雨をそそいで、お釈迦様の体を清められたというのです。
今、花祭りで、お釈迦様が入る花御堂はルンビニーの花園を型どったものであり、甘茶をかけるのは、天から竜が甘露の水をかけた故事にならっているのです。考えてみれば、誕生ということは人生の一大ドラマです。お釈迦様がこのように天地万物の祝福を受けてお生まれになったように、私達一人一人も周りの祝福を受けて生まれてきたのです。周りの祝福と、幸せになってほしいという願いをこめられたこの命を、どういかしていくかが、私達に課せられた勤めなのです。花祭りにあたってお釈迦様のお誕生を祝うとともに、私たち一人一人の誕生の意義を考えてみたいものです。
人間には色々な苦しみがあり、その苦しみからどうすれば救われるかを深く考えられ三十五歳の時に『悟り」を開かれた方であり、「悲しい時にはその悲しみを全身で受けとめ、苦しい時も苦しみを全身受けとめ、そこから幸福の第一歩が開かれるのだよ」とお釈迦様ば教えております。
苦しみや悲しみを「なにくそ」と受けとめる力を与えてくれたがお釈迦様の教えです。 |
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2006年3月
「お釈迦さま」にはいろいろ呼び名が存在しています。
『プッダ」「ホトケ」「おシャカさま」は、仏教では、ひじょうに大切にされている言葉です。そもそも、「ホトケ」というよび名は『仏陀」に由来します。
「仏陀」とは真理に目覚めた人のことで、悟りの境地に達した人のことをいいます。この「仏陀」と
いう呼ぴ名から、「仏」という呼ぴ名も生まれました。
また、プッダは、敬愛をこめて「釈迦牟尼世尊」とよぱれております。『釈迦』とは、現在のインドーネパール国境付近にいた「シャカ族」のことで、「牟尼」とは、インドの言葉で聖者を意味します。「世尊』は、この世でもっとも尊敬された神聖な人をあらわし、「釈迦牟尼世尊」とは、「シャカ族出身の聖者で、この世でもっとも尊敬される偉大な人」という意味になります。
この尊称から、日本では「お釈迦さま」というよぴ名が生まれ、また、この尊称を訳した「釈尊」と
いうよぴ方になったようです。
いっぽう、プッダの本名は、「ゴータマ・シッダルタ」といいます。
「ゴータマ」とは、もっとも優れた牛という意味で、インドで、牛が神の乗り物として神聖視されてきたことに関係します。
「シッダルタ」とぱ、「目的の成就」という意味で、王である父親の後継者として、誕生が待ち望まれていたため、こう名づけられたのではないかと考えられているようです。
もちろん、悟りを得る以前は、「ゴータマ・シッダルタ」という名前でよぱれていますが、悟りを得てから、いくつもの尊称がつけられるようになって、呼ぴ方も一気に増えていったのです。 |
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2006年2月
お釈迦さまの十大弟子・・・その2
天眼 第一 阿那律(みとおし)
天眼 第一人者、修行に精進した為に失明してしまったが、その後、心の目・天眼通を得た人物です。
解空 第一 須菩提(しりかた)
解読力第一人者、「諸法は皆、空なり・一切の事物が空である真実をさとった」人物です
説法 第一 富樓那(ときかた)
説法の第一人者と伝えられております。
論議 第一 迦旃延(はなしかた)
論議の第一人者と伝えられております。南印度の出身と言われております。
持律 第一 優波離(たもちかた)
持律の第一人者と伝えられております。お釈迦様の教えで先ず一番に済度された人と言われております。
密行 第一 羅睫羅(おさめ)
密教の第一人者と伝えられております。お釈迦様の実子と伝えられております。お釈迦様が釈迦族の王子であった時出家学道の志を発したが、一子の誕生によって出家のさまたげになることを嘆き羅睫羅と命名する。お釈迦様の「成道」後、説法を聞き出家して仏弟子となる。
多聞 第一 阿難陀(ききかた)
多聞第一人者と伝えられております。
無比の記憶力を持っていた人、お釈迦様の法話を一番多く後世に伝えた人と言われております。
お釈迦さまは晩年に、自分の両腕とも頼む舎利子と目連とを相次いで亡くされて、お釈迦さまは悲しむ
弟子達に、自分自身にさとすように、しみじみと語られたと伝えられております。
「すべて愛する者とは別れなけりばならぬ時がくる。この世に移ろい変わらぬものは一つもない。大いなる樹木にあっては、その枝の一本がさきに桔れることもあろう。それと同じに私に先立って弟子は逝った。移ろわざるものはないからである。故に私は、なんじらにいわねばならない。"自らを灯火とし、自らを依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ、法を灯火とし、法を依りどころとして、他を依リどころとしてはならぬ"とこの一句は、『自灯明・法灯明』といわれ、お釈迦さまの遺言とされております。
続く・・・ |
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2005年12月
お釈迦さまの十大弟子
お釈迦さまは生まれたばかりで七歩あゆみ、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と告げたと伝えられております。
「天上天下」とは天地のあいだという意味で、大宇宙のことであります。
そのなかで、私が尊っとも「尊い」といったわけですが、これは自分の偉さを誇ったのではなく、人間性が尊っとも「尊い」といったわけであり、これば自分の偉さを誇ったのではありません。
「人間性の尊厳」をいいあらわした言葉と解釈されております。
「お誕生」・「出家」・「成道」・「初転法輸』・「お涅槃」までのお釈迦さまの行道は省略させて頂きます。
お釈迦さまの八十年の生涯の中には約二千人のお弟子さまがおりますが、その中で最も勝れたお弟子さま十人を『釈迦の十大弟子』と言っております。
これは、三十歳でさとりを開き「仏陀」の境地に到達したお釈迦さま、八十歳で入滅するまでの四十五年間、一日も休まずに人ぴとに教え説き続けました。それぱ、応病与薬と呼ばれるように、各人の能カや環境に応じて説かれたので、多数の経典が成立した所以であります。
お釈迦さまの滅後、お弟子たちは自分たちが直接お釈迦さまから聞いた教えを人びとに伝えましたが、それらの教えを後世にも残すために、「摩詞迦葉尊者」をはじめお弟子さまたちの主なものが集まって、経典を編さんされました。これをまとめたものが「お経」となり今日まで仏教徒の教えとなっているわけです。
続く・・・ |
2005年11月
実りの秋
秋も深まってまいりました。
うつせみの おのが命をいとほしみ
今日も野山の生きものを喰う (岡本かの子)
「我々人間の毎日の生活は、一日約十万程の生命の犠牲の上に成り立っている』と一ある書物
で読んだことがあります。
私どもは、毎日自分一人のカで生きているような錯覚に陥っております。私もその一人であります。
今、農家の人達は、一年の苦労の緒晶ともいうべき、秋の収穫に追われております。天地自然の恵みに感謝する心は、米を収穫したり、野菜や果物を取り入れてみないと他人様には良くわかってもらえないものです。
一昔前、わが国もリゾート法が制定されて、過疎の地域が、人間の快楽的な生活空間として開発され、「開発と自然破壊』という問題は、所によっては、大きな社会問題になっておりましたことを思い出されます。人間のご都合主義で豊かな自然が破壊されて行くのは、心が痛む思いがしておりました。稔りの秋こそ、野山に出てみると新たな発見をすることが沢山あります。野に咲く秋の草花に心を洗われる思いがするものであります。
山の栗は実こそ小さいけれども味は格別。この自然の恵みに触れてこそ、人間が人間らしい行き方を実感することができるのではないでしょうか。
『人みな般若の正種ゆたかなり。 ただ承当すること稀に受用すること未だしきならし』(道元禅師)。人は生まれながらにして、正しい智慧によって包まれている。そのことに気がつき、そして正しく積極的に生きる人は少ないと、道元禅師が示しております。運命の主人公は、我々自身であるから、「運・不運」の鎖を断ち切るのも私自身であります。
大自然の恵みに感謝しながら、私たち自身の生きる力を.自覚したいものです。天地自然や、多くの物や、人々によって生かされている恵みに感謝し、おかげさまの日々で生活することが、仏の教えであります。
平成十七年十一月不動尊縁日 |
2005年10月
お不動様
お不動様は、すべての仏様の中心でいらっしゃる大日如来の変化身として、みずからぬ僕、すなわち働き手となって、私たち迷い苦しむ衆生をお救いくださる尊い仏さまです。
一見、恐ろしいお顔(忿怒相)をされていますが、これは、お不動さまのご慈悲が、たとえば、母親が火の中で泣き叫ぶわが子を救いに必死で火中に飛びこむ様のように、真剣で、のっぴきならない事を表しているといいます。
このまさに慈悲の塊のようなお不動様は、煩悩を焼き尽くす火生三昧に身を現じ、一切の迷いを断ち切る利剣と、苦しみの世界から衆生を救い上げる羅索をもって、いつも私たちに救済の手を差し伸べていてくださるのです。
お不動様のご真言
ナウマク サマンダ バザラダン センダ
マカロシャダ ソハヤタ ウン タラタ
カンマン
合掌 |